たきログでは、若手のビジネスパーソンに向けて、本の学びと知識を共有しています。
本日は『バカの壁』(養老 孟司 著)の紹介です。
あの人、いまいち話が通じないんだよなぁ……
自分には個性がないなぁ……
あなたのそんな悩みを解決します。
- 『バカの壁』の要約と所感
- なぜ、あの人とは話が通じないのか
- 教育現場で”個性を伸ばせ”は間違い
本書は、2021年11月に450万部を突破した、”平成で1番売れた新書”。
著者の養老孟司氏は、解剖学者であり東京大学名誉教授です。
それでは、早速いきましょう!
バカの壁とは?
結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
話せばわかるは大うそ!
養老先生が、教育現場で”話してもわからない”ということを実感した事例を取り上げます。
イギリスのBBC放送が制作した、ある夫婦の妊娠から出産までを詳細に追ったドキュメンタリー番組を、北里大学薬学部の学生に見せた時のことです。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
薬学部とは女子が6割強で、女性の方が多い。その女子学生のほとんどが「大変勉強になりました。新しい発見が沢山あった」と回答したそうです。
対して、残りの4割の男子学生の感想は「すでに保健の授業で知っていることばかりだ」というものでした。
この事象に対して、養老先生は次のように述べています。
「わかる」とは、与えられた情報に対する”姿勢”の問題である。
「わかっている」という怖さ
つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。
先の出産ビデオの例を考えると、男子学生は出産に対する関心が女子学生より少なかったということでしょう。
実は、この「わかっている」という怖さは、日常にありふれています。
テレビのニュースをみて、世間をわかったような気でいる。または
サッカーを観戦しているから、サッカーとはどういうものかがわかった気でいる。
そこに怖さがあると、著者は提起しています。
わかるというのはそういうものではない、ということがわかっていない
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
私たちも、振り返れば、”わかった気でいる”ことがたくさんあります。
物事は見聞きしただけで、かんたんに”わかる”ものではない。
その意識を忘れてならないということですね。
topic①:頭の中の係数
知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないということは、日常でよく目にすることです。これをそのまま広げて行った先に、戦争、テロ、民族間・宗教間の紛争があります。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
この「話が通じない現象」を、脳の側面からみていきましょう。
脳の入出力
脳への入力、つまり五感からの入力(x)があったとします。それにより、脳はなんらかの意識的な出力(y)をする。(この意識的出力によって、後になんらかの体の運動へとつながる。)
これを方程式で表すと、脳内は一次方程式のモデルで表せます。
y = ax
では、この時の係数 a とはなにか? 著者は、係数 a を「現実の重み」と表現しています。
a = 0 のケース
例えば、先の「出産ビデオ」の例でいえば、男子学生の係数 a は0(ゼロ)ないしは限りなく0に近い値といえます。つまり、入力が行動にまったく影響しないということです。
他にも、母親の言うことをまったくきかない子供などが、よい例です。
a = + or – のケース
マイナスとは、入力に対して出力が逆になり、まさに「非難している」状況といえます。
非難しているとは、現実としては捉えているということで、a = 0 とは異なります。
たとえば男女の好き嫌いを例にすると、a = + が好き、a = – が嫌いとなる。そして、a = 0 が眼中にないということ。そういう意味でマイナスは、ゼロよりまだ救いようがあるということになります。
a = ∞ のケース
最後に a = 0 の逆、a = ∞(無限大)のケースを考えます。
この場合は、ある情報、信条がその人にとって絶対のものになる。絶対的な現実となる。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
つまり、それに関することはその人の行動を絶対的に支配することになります。
熱心な宗教信者が、これにあたります。
「神のおっしゃることは絶対である」とは a が限りなく大きい、つまり a = ∞ ということです。(=原理主義)
(特にキリスト教で)聖典の説くことは文字通り真実だと信じ、そのように生活する態度。
引用:Oxford Languages
人間の社会性
以上を踏まえたうえで、人間の社会性を考えてみます。
先の y = ax で表現するならば、人間の社会性とは、できるだけ多くの刺激に対して適切な a の係数をもっているということ。
脳も、しくみはただの計算機です。これはニューラルネットワークを学ぶとより理解できるのですが、本記事では割愛します。(本書では脳のしくみから丁寧に解説されています)
topic②:個性を伸ばせという欺瞞
人類の進化の歴史
人間の脳は、できるだけ多くの人に共通了解(世界のだれもが共通で了解していること)を広げていく方向性をもって進化してきた歴史があります。
サピエンス全史でユヴァル・ノア・ハラリ先生も述べているように、人類は現実には存在しないもの(抽象概念)を共有する能力をもって進化してきました。抽象概念とは、たとえば宗教・人権・会社・お金などです。
この共通了解とは、”個性”と逆をいく考え方です。
しかし現代の若者は、がんじがらめの共通理解を求められつつも、意味不明の個性を求められる矛盾した境遇にあります。
学生のときには枠からはみ出ないことが良しとされ、社会に出ると会社のルールに縛られつつも、個性的であることが求められる。
あなたにも、ご経験がありませんか…?
個性は身体に宿る
では、”個性”とは、いったいなんなのか?
私の皮膚を切り取ってあなたに植えたって絶対にくっつきません。親の皮膚をもらって子供に植えたって駄目です。〜皮膚ひとつとってもこんな具合です。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
すなわち、「個性」なんていうのは初めからあたえられているものであって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。
つまり、あなたの個性は”あなたの身体”に宿っているのです。
こう考えていれば、教育現場において若者に「個性的であれ」は間違っています。
それよりも親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、ホームレスの気持ちが分かるかというふうに話を持っていくほうが、余程まともな教育じゃないか。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
放っておいたって、私たちはすでに個性的なのです。
この考えを知ると、個性がないという悩みがふっと軽くなりませんか?
topic③:万物は流転する・情報は不変である
あべこべになった現代
現代は情報社会であり、この”情報”とは常に更新され、その流れに乗り遅れたものが置いてけぼりをくらうといった認識が存在しています。
しかし、本来は「情報」こそ不変であり、変わりゆくのは「私たち」の方であると著者はいいます。
今回は2つの例を取り上げましょう。
- 例1:ヘラクレイトスが残した「万物は流転する」という言葉
-
この世には変わらないものなどない。
真理をついた言葉だが、「万物は流転する」という言葉(=情報)は一言一句違わずに、現代へと残されている。(情報は不変である)
- 例2:平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
-
鐘の音は(物理的に)いつも同じように響く。しかし、その時々で違って聞こえてくる。それは人間がひたすらに変わっているから。聞く方の気分が違えば、鐘の音も違って聞こえるものである。
昔の人の方がよっぽど「人はうつりゆくもの」だと理解していた。
本来、移り変わるのは情報ではなく、人間の方である。
現代はこの認識があべこべになってしまっているが、あべこべになってしまった現代ではそのことに気づく者は少なくなっています。
”知る”ということの意味
「人はうつりゆくもの」の延長として、論語の言葉をとりあげます。
朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり
(朝、人としての道を悟れば、その晩に死んでも悔いはない)
”知る”ということは過去の自分が消え去り、新しく生まれ変わるということに他なりません。
たとえば、あなたががん宣告を受けたとしましょう。医者は末期癌で、救う手立てがないという。
病院からの帰り道、さきほどまで当たり前にそこに咲いていた桜が、はたして同じように見えるでしょうか。
”知る”ことで、ものの見え方が、ガラリと変わってしまう。
たとえ、あなた以外の世界が、昨日とほとんど変わらなかったとしても。
私たちは、”知る”ことで、実は何度も生まれ変わっています。昨日と同じ人などいない。
人は、常にうつりゆくものなのです。
この考えをもっていると、歩みのない人生などない。
成長のない人生などない、と思えてきますね。
一元論をこえて
バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
ただ一つの原理で、すべてを説明しようとする考え方。
引用:Oxford Languages
仮に”向こう側”が見えなくても、”向こう側”があることを認識しておけば、戦争なんて起こらない。
人が悪事をはたらくとき、それは人が正義を遂行したときだと、耳にしたことがあります。
本当に悪いことをしようと思って、実行する人は少ない。
欲というのは、現代社会ではあまり真剣に議論されていない。欲を欲だと思っていない人が非常に多い。欲を正義だと思っている。
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
会ったこともない人に、SNSで誹謗中傷して正義を振りかざす人。
コロナ禍で「自粛しないのはおかしい」と正義を振りかざす人。
正義は振りかざした時点で、正義ではなくなっている。
この考えは、共同体で生きるうえで、誰しも忘れてはならないことです。
当ブログ筆者の所感
本を読んだり、勉強したり、社会で人と関わったとき、どうしても理解が及ばないことにぶつかる時があります。
どのように解釈していくかは個々人の問題であって、いかに抽象化しそれを日常に組み入れていくかは学ぶ側・受け取る側の課題であると考えています。
その意味で正解も不正解もありませんが、目の前の事象に対する自分の係数が0や∞ではないだろうか?と自分に問うクセをつけたい、と強く思いました。
就活のとき、よく自分の”個性”がわからずに、苦しんでいました。
学生を卒業して社会に出たとき、答えのない問題ばかりで、苦しみました。
きっと、わたしだけではないはずです。
そして今回、この本を読んで、さまざまなことに「わかったつもり」でいた自分に気がつきました。
わかるというのはそういうものではない、ということがわかっていない
養老孟司.バカの壁.株式会社新潮社.
シンプルですが、一番心に刺さった言葉です。
自分の眼鏡には映っていない側面も、存在を認める。
大人になれば頑固になる一方で、子供のように喧嘩してもすぐ仲直り、とはなかなかいかないものですが、相手を”知ろうとする心”はいつまでも忘れずにいたいですね。
人に、”完成”はない。本書は間違いなく、読者を成長させてくれる本です。
どうか多くの方に「バカの壁
今回ご紹介した書籍はこちらです